彼女の福音
玖 ― 気がない、気づかない、傷つけない ―
岡崎と智代ちゃんが戻って来たのは、あれから十五分ほど経った頃だった。
「見つかったの?」
「ああ、すまなかったな」
「どこにあったのよ?何も盗られてない?」
「さっきCDショップに入っただろ?そこのカウンターに置き忘れてたみたいなんだ。多分何も取られていないと思う」
「多分って……もう、しっかりしなさいよ。智代も何か言ってあれたら?」
「朋也のそういうところは前から知っていたが、ここまで来るとは知らなかった……やっぱり最近疲れてるんじゃないのか?」
「そうかもな……それよりどうしようか?これからどこに行く?」
「そうねえ……」
杏が時計を見た。もうそろそろ正午だ。
「どっかでお昼でも食べない?それとも後でにする?」
「俺は今あまり腹、減ってないけど……智代は?」
「その、私もまだいい」
ん?今、智代ちゃん何だかぎこちなかったような……
「まあ、僕も特にお腹が空いてるわけじゃないしね……で、どうするのさ?」
「そういやさ、さっき財布探してる時によく行ったゲーセン見つけたんだけど、行くか?」
杏が途端にぶすっとする。
「何それ?ずっと格ゲーでもやるつもり?せっかく一緒に遊んでるんだから、たまには何かもっとましな事やりましょ」
「ただなぁ……」
岡崎が思わしげに智代ちゃんの方を見た。智代ちゃんは戸惑った顔をすると、頬を真っ赤に染め、呟いた。
「そこに可愛らしいクレーンゲームがあるんだ」
キラリ
杏の目が光った。
「何か面白そうな物、あった?」
「かわいらしいくまが、あったんだ」
ああそっか、智代ちゃん、くまのぬいぐるみに弱いからね。さすがに着ぐるみを着るとは思わなかったし、そんな暑くて重いもの着てても強かったのにはさらに驚いたけど。
「ヒトデがいっぱい、とかじゃないでしょうね」
「いや、確かでっかいアリクイのぬいぐるみが……」
「行きましょう」
即答しましたよこの人。
「あたし、あのアリクイには貸しがあるの」
目が、マジだった。
「杏、言いたくないけどさ……」
「あんたは黙ってなさい!さあ今日こそはこの穴の中にぶち込んでゲットしてあげるわよ、デカブツめ!」
はぁ、と僕は闘志の炎を燃やす杏を見ながら、ため息をついた。ちなみに僕の後ろでは岡崎にくまのぬいぐるみをキャッチしてもらった智代ちゃんが嬉しそうに笑っていた。どうでもいいけど智代ちゃん、僕そのくま、絶対に某巨大電子掲示板で見たことあるから。
「この、口にキャッチャーを引っかけた時に言う『そんなエサで俺様がクマーーーーー』が目玉なんだってさ」
「レアアイテムなんだ。ありがとう朋也」
「いいや、俺はそんな智代の笑顔だけで十分報われてるからさ」
「朋也……」
「智代……」
ああはいはい、ご馳走様。
で、後ろを向くと何だかひそひそやっては顔を赤くしてたりするし。まったく仲がいいよな。
「ところで春原、向こうで夢幻拳闘士リトルバスターズがあるんだが、やってみるか?」
「えっ、本当かい!うっわ、なっつかしいな。ねえねえ杏もやんない?」
「うっさいわねえ!向こう行ってなさいよっ!」
思い切り怒鳴られた。見ると、またクレーンがアリクイを掴んで振動している。とどのつまりキャッチしても動けない状態なのだ。いや、つーか本当に無理だって、物理的に考えても。
「しょうがないなあ……岡崎、前みたいにやるか?」
「いや、遠慮しておく。俺はもうあのゲームは卒業しちまったんだ」
「それってもしかすると僕をガキ扱いしてないっ、思いっきりっ?!」
「え、お前それに気付けるだけの知能あったんだ?」
「馬鹿にしてますねアナタ!」
「は〜、人語を理解するだけでなく、エスプリもわかるとは……喜べ春原、人間と同格になる日が来るかも知れなくもない」
「いや人間だって!つーかせめて云い切ろうよねぇ!」
「よくわからないが……それは面白いゲームなのか?」
あれ、もしかすると、智代ちゃんその気になってる?
「そうだね、もしかすると智代ちゃんにはぴったりかもしれない」
「私に、ぴったり……」
「しかも昔岡崎が大好きだったから、遊べば岡崎のこと、もっとよくわかるかもしれないよ?」
「……案内してくれ」
よし、引っかかった。ここで智代ちゃんを倒せば、僕の対智代ちゃん初めての白星となるかもしれない。
みじけぇ夢だったなぁ……
三度目の挑戦もはかなく散り、僕はアーケードマシンに崩れ落ちた。隣では智代ちゃんが「うん、うん」と満足げに頷いている。
「実戦ではああはいかないだろうが、この模造刀を使う女は使いやすい」
「ああ、僕の青春は、一体何だったんだろうね……」
「さて、確か私たちは賭けをやっていたんだったな」
「え」
「勝者が敗者に何でも要求できる、と」
ぎく。
やばい。絶対に勝てると思ってそんな約束していたっけ。勝てたら僕のことはこれからはザ・グレート・春原と呼んでもらおうか、というつもりだったんだけど。
「では早速行くぞ」
「とととと智代ちゃん、お願いです、ストレス解消に蹴り飛ばすのはやめて下さい!」
「?何のことだ?」
「え、でも智代ちゃん、確か一週間に一度は僕を火星まで蹴り飛ばさないと超人化して世界が滅びるって」
「誰がそんなことを?」
「岡崎が高校時代に」
ぴし
何だか変な音が聞こえた。
「ほう……」
「と、智代ちゃん?」
「朋也がそんなことを……ほう」
「え、えと」
「朋也はどうやら旭日旗が好きみたいだな。明日のお弁当はそれでいこう。うれしいだろう、朋也?」
何だか怖い。
「それよりも、要求って?」
「あ、そうだった。単刀直入に聞く」
つい、と智代ちゃんが顔を近づけた。
「お前に、お前のことを好きだと想ってくれている人がいたら、お前はどうする?」
「は?」
冗談だろ?ねえ智代ちゃん、誰に話しかけてるんだい?よりによって、僕にそういうことを言うのは、笑えないぜ?
「からかってるわけではないぞ。例えば、あくまでも例えばの話なんだが、お前に気がある女の子がいたら、お前はどうするんだ?」
「……やめてよ。僕は岡崎じゃないんだ。モテるような性格でもないし、どうせさ、そんなのいないって」
「……そうか?私にはそうとも思えないが」
「買いかぶりだよ」
智代ちゃんはふと悩ましげな顔をすると、うん、と頷いて、僕に笑いかけた。
「まあいいじゃないか。仮定の話だ。恋愛ゲーム?とかいうものをやっているとしよう」
「ふ〜ん……じゃあやってみようか。それで?」
「その子は活発で笑顔が眩しい、そういうタイプの子なんだが、でも面倒見がいいところもあるし、そうだな、基準としては私よりは乙女な感じだ」
「美人?」
「そう、ものすごい美人で、今彼女が一人なのが不思議なくらいだ。しかもお前とは気の置けない仲だ」
「つまり油断ならないってこと?」
「違う。気が置けないとはつまり遠慮する必要のない、という意味だ。さあ、そんな子がお前を好いていると告げるとしよう。お前はどうする?」
夢のような設定。
妄想するにはもってこいのシナリオ。
「付き合うんじゃないかな。そうしたら、僕の学園生活はウハウハじゃん」
「いや、今のお前の話なんだが」
「急に現実味を帯びるゲームだね……」
すると智代ちゃんが少し怒ったように唇を尖らせた。
「私はまじめに聞いてるんだぞ。真剣に考えてほしい。これを、まあ、もう一つの世界の現実として」
現実として?
つまり付き合い始めてからずっと面倒を見ろと?
何があっても守り抜けと?
その子を命がけで愛せと?
「……わかんないよそんなの」
「わからない?」
「だってさ、僕はさっきも言ったように岡崎みたいにみんなから好かれるタイプじゃないんだよ。そりゃあ中学の頃はガールフレンドとかいたけどさ、そんなのガキの遊びじゃん?岡崎と智代ちゃんみたいに夫婦になったり、いずれは親になったりなんて、実感わかないよ」
「春原……」
「だから、もしそんな子が本当にいたら、うん、って言えるかな……中途半端な気持ちで遊んでさ、それで自分で『うわ、今俺モテモテじゃん』とか考えててもさ、結局二人とも傷つくだけなんじゃないの?そうやって人を傷つけてまで付き合いたいとかは思わないからさ」
「しかし、お前は現に人がどうやったら傷つくか知っているじゃないか。なら、お前は人を傷つけないようにできるんじゃないか?だったら、人と付き合えるんじゃないか」
「だからそこが買いかぶりなんだって。僕は知ってても、知らず知らずのうちにそういうことをやらない保証なんてないんだよ。馬鹿だしヘタレだし、きっと遅かれ早かれ向こうの方が勝手に泣いて出ていっちゃうよ」
重い沈黙が訪れた。話は、これでおしまいだった。
そうなんだ。だから僕は岡崎や智代ちゃんと一緒にいる。
この二人なら、間違っても僕にそんな思いを抱かないから。この二人なら、そんなもんだろ、って笑えて、勝手に傷つかないから。この二人だったら、僕に過剰な期待を寄せて依存しようとしたりしないから。
「でも、私はこう思うんだ」
智代ちゃんが一言ひとことゆっくり呟いた。
「人は、そういうものなんじゃないか?」
「へっ、岡崎と智代ちゃん見てると、全然すれ違いも何もないように思えるけど。知らず知らずのうちに傷つくことなんてないと思うけど」
すると智代ちゃんが頭を振った。
「そんなことはなかった。付き合い始めての私達のことは、お前も知ってるだろう?あの夏に私達が別れてしまったのも、すれ違いじゃなかったというのか?あれが一番の方法だったと?ちなみに言っておくが、その後も朋也の鈍感さには困ったりしたんだぞ?」
うん、大変だったんだ、と全然大変そうではなく、むしろ嬉し恥ずかしそうに智代ちゃんが笑った。
「じゃあ、傷つきながらもずっと一緒にいたってこと?」
「そうだ。それでも別れたくはなかった。別れるということが、どれくらい辛いことか、私達は知ってるから。だからな、春原、私は人を傷つけてまで付き合うということは、必ずしも悪いことじゃないと思うんだ。要は、そうしながらも相手を思い、傷を癒して余りあるものを贈れるかどうか、だと思う」
「……強いんだね、智代ちゃんも岡崎も」
それは全くの正論だった。
だけど、僕はそれに背を向ける。
卑怯な話の終わらせ方だと知っていても、僕は逃げる。
「僕は、そんなに強くはなれないよ。僕は、変わることなんてできない」
ゲームセンターの喧騒の中で、僕の小さな、ちっぽけな、乾いた笑いは、一体誰かに聞こえたんだろうか。